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児童文学「モモ」を読んで
最近「モモ」という児童文学を心理学者、河合隼雄氏の著書の推薦で読みました。作者であるミヒャエル・エンデは、ドイツ人の児童文学作家で、「モモ」は1973年日本語訳され絵本にもなり、日本でも100万部以上が売れるベストセラーとなりました。主人公がモモという孤児の少女の物語で、その内容は人類に対する警鐘であり、私が常日頃疑問に思っていることが氷解するような内容でした。
私は最近時間の経過がものすごく早く感じるようになっています。79歳となった今、益々忙しくなったように思えます。それは何故か、効率化・時間の短縮化を目指して、どんどん世の中の変化を自分自身で早くしているのです。そんなに時を効率化しなければいけないのか。その効率化した時間の残りを有効に使っているのか。時間泥棒にその時間を盗まれていないのか。時はチクタクと進みます。時計は人間が生み出したものであり、その時計によって、人間は使われるようになってきたと思います。人類の歴史を振り返ってみると、縄文・弥生時代は悠久の時を刻み、自然の季節に従って人も動物も植物も生きてきたように思います。それが、人間が効率を求め、人間が勝利するように自然を支配し、自分の思い通りに動かし始めた途端、人間が時間に支配されるようになったと感じるのは私だけでしょうか。
それが昭和、平成、令和と年代を重ねるごとに慌ただしく感じられるのです。「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」の句も、今は100年となってきています。寿命は延びても、その豊かさは本当にその年月にあるのか。現在はないのではないか、と思われます。時々耳にするのが「時間を潰す」と言っている人の声です。私はこの「時間を潰す」と言う言葉が大嫌いです。なんで時間を潰すんや、もったいない、もっとする事が一杯あるやろと言うのが私の素直な気持ちです。余暇を楽しむという気持ちこそが大切なのではないのか。
人間は文化という効率とは反対のことを生み出しています。慌ただしい世の中で、人間は文化を育てています。この文化は、自然が刻む「時」ゆったりした「時」に人間が浸って居られる唯一の手法ではないかと思います。そういう意味で、あらゆる人間に平等に時は流れ、平等に死は訪れます。この貴重な時を潰して良いのか。いや有意義に使うべきです。暇を潰すのではなく、暇「時」を時間泥棒に奪われないで、時間を有効に使うというのは結局自分自身がどう考える事ではないか。
人は何歳迄生きられるかは分かりません。与えられた人生を有意義に生きられたらと思います。有意義に生きるには効率的となるのが良いのか。時間を自分の意思で支配する為にはどうすれば良いのか。などを改めて、「モモ」という児童文学を読み終え考えさせられました。「モモ」を一度、又は大人になって改めて読まれることをお勧めします。
やみにきらめくおまえの光、
どこからくるのか、わたしは知らない。
ちかいとも見え、とおいとも見える、
おまえの名をわたしは知らない。
たとえおまえがなんであれ、
ひかれ、ひかれ、小さな星よ!
(アイルランドの旧(ふる)い子どもの歌より)
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)