サンサンコーナー
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学校が壊れるとは
数年前から、学校が壊れるということをよく耳にします。校舎が壊れているという意味ではなく、学校の教師が自信を失い、学生達が一生懸命勉強しなくなったというのが、学校が壊れるという表現になっているのではないかと思います。
その結果、学力は落ち、社会秩序を守れない子ども達で溢れているのが今の状況ではないでしょうか。その子ども達が、子どもを産み、育てると、世の中が壊れてくるのは当たり前のことだと思います。幼児の虐待、殺人、窃盗の増加、その他あらゆる犯罪が増加しているのではないかと想像できます。
安全な国、日本はどこへいったのでしょう。このままでは真面目に働く人が損をし、犯罪者が得をするという社会になっていくのではないかと危惧されます。
この原因はどこにあるのでしょうか。やはり教育方針にも、原因があったのではないかと思います。それは、個性を尊重する、伸ばすという教育です。では個性とは何か。広辞苑によれば、「個人に具わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格、性質(individuality)」と意味づけられています。
この個性を教育によって伸ばす必要があるのでしょうか。私は、個性は伸ばす必要がなく、生まれつきその人その人が持っているもので、それを伸ばせば伸ばすほど社会性がなくなっていくという代物であると思っています。その結果、自己中心主義の我がまま人間が生まれ、犯罪に走るという今の日本社会につながっていると思います。
やはり人間は、集団生活をする動物であり、社会を形成して初めて生きられる動物なのです。その動物が人と人との繋がり、人と人との関わりの中で、生きていく為にどうしたら良いか、どう生きるべきかを教育すべきなのです。それこそが教育の本当に目指すべき方向だと思います。人間社会は歴史を積み重ね、その歴史とは失敗の積み重ね、そして、より良い人間社会を作る為に努力してきました。その結果が今の社会なのです。
しかし、個性重視の教育方針によって、社会が壊れているのです。戦後、敗戦による打撃と全体主義への反省からか、偏った教育方針が野放しになってしまったように思えます。個性重視の教育、それは教師が教えられる世界ではないのです。
例えば、現在ドジャースの大谷翔平選手は、普通の教師では教えるのに限界があります。何故なら彼の個性は能力、特に優れた身体能力であるからです。この大谷選手に普通の教師が教えられると思いますか?そのことが、教育現場で教師が悩んでいることなのです。
教育方針として打ち出さなければならないのは、人として最低限守らねばならない社会ルールを、どう守って生きていくべきかということなのです。それは教師があの大谷選手にでも教えられることなのです。ドジャースの大谷選手が人気なのは、強い個性の上に、人としてのルールを身に付けているからだと私は思います。
教育は、社会のルールを教え、そしてその上で、その人の能力をいかに伸ばすかを方針とすべきで、放っておいても出る個性を教育によって磨く必要はないのです。何故なら個性はその人、個人がそれぞれ持っているものだからです。
今の若者たちは、働く場所がないと言って、親の元から羽ばたかないのではなく、世の中に出ても一人の人間として成長しきれない人間を教育してきているからなのです。
教育は原点に戻り、社会のルールを教え、能力を磨く、そんな教育をするべきだと思います。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)