サンサンコーナー
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格差社会
飲みたい時に飲める新鮮な水と、食べたい時に食べられる食糧さえあれば、それ以上に求め文句を言うべきでない、というのが人生の本質と言えるのかもしれません。しかし、それ以上の欲を求めることによって人間同士の争いが起こるとしたら、なんと愚かなことでしょう。人間が仲良く生きていくにはどうすればいいのか?これは我々人間の永遠のテーマではないかと思います。
私達は、毎日働いて生活費を稼ぎ、少しでも節約して貯金をし、将来に備えます。少しでも余裕ができれば富を蓄える、この富がくせ者で、人間の不平等を促進するのかもしれません。だとすれば、今の日本の所得格差の拡大は、富の蓄積の格差の拡大につながり、将来の不平等につながるかもしれません。
今、世界を見れば、アメリカではアメリカン・ドリームと言われ、成功者と一般市民との貧富の差が、どんどん開いています。そして富が富を産み、不労所得がどんどん増え続け、トランプ大統領のような超富裕層が出現し、政治まで壟断しています。
片や、インドでは全国民の約3%の人が富の5割~7割を所有し、多くの人々が路上で生活したり、物乞いをしたりして生活しています。そして富裕層は貧しい人々に施しを与え、不満が爆発しないようにガス抜きをしているのです。富及び収入の差は、時が経てば経つ程増大し、格差がどんどん拡がっていくのです。
冨の拡大は、教育に広がり、資産家はより重厚な教育を受けることができ、知的資産もどんどん増大します。そして知的先進地域へ進出し、世界中の人々、特に社会を牛耳る世界に社交の輪を広げています。
冨の偏りは、格差へと繋がり、各地に身分の差を生じさせ、それが年月を経て、歴史化されると、どんどん格差が拡大し、平等は失われていくのです。
では平等な世界とはどのような世界なのでしょう。そもそも平等とはいったい何なのでしょうか。私たちは平等を頭の中では考えられるような気がします。しかし、現実的には収入や権利が均等にあれば平等なのでしょうか?例えば収入一つとっても平等にするのはとても難しいと思います。まず能力の差がある場合は、収入に差をつけるべきだと思います。また熱心さの違いがあれば収入の差にすべきです。長期間働く人と、そうでない人にも収入の差をつけるべきです。その差によって収入に差が出てきます。でも逆に差がないと平等ではないのです。
私たちは人生に対して意欲を持って歩むのと持たないで歩むのとでは、長い人生、たかだか100年未満の人生ですが、差が出てくるのです。
とすれば、これが千年、何千年と続くと、どんどん格差が広がっていくのです。これに拍車をかけるのが富の蓄積です。これは実にくせ者です。それは何故かというと、富が富を生むからです。特に不動産は富を生みます。世界の富裕層は必ず富を蓄積し、不動産を所有していると言っても過言ではないと思います。その上、賢い人はその富を使って子孫に教育を施します。この教育は人を育て、その人が資産を運用し、どんどん資産を増やしていき、より格差を増大させていきます。ということは、この格差というものは、我々人間にとってなくすことのできない必要悪なのでしょうか。そう考えると、日本社会は比較的平等な社会、身分格差に対して差別のない社会なのかもしれません。私たちは平等な社会を目指しますが、格差社会は、私たちの心の中にこそ芽生えるのかもしれません。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)