サンサンコーナー
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正岡子規を読んで
只今、子規全集(講談社)全25巻中の第21巻782ページを読み終えました。毎朝10ページ程を読み、78日間。第1巻からですと約5年間を毎日非常に楽しく、面白く堪能させてもらっています。正岡子規は慶応3年(1867年)生まれ。現在の東京大学予備科に入学し、新聞記者になります。その人生は俳句の世界で実に充実しておりましたが、明治35年(1902年)36歳で子規庵の4畳半で永眠しました。
病床六尺から、世界観は日本全国、世界、宇宙へと広がっていったように思います。36歳と言えば、まだ若輩で、肉体も精神も成長の途上にある頃だと思います。生涯の間に、俳句を作り、俳諧の様態を改め、江戸時代の芭蕉、蕪村を研究してその作風の批判・批評をし、俳論をまとめ上げ、現代俳句の基礎を造り上げています。結核性脊髄カリエスを患い、体から膿が流れ出ようになっても、その痛みに耐え、読書をし、資料を集め研究し、文学論をまとめ、句会を開いては句を作り、句集を作り、夏目漱石を初めとして寺田寅彦、高浜虚子、河東碧梧桐などの友人達との情報交換、主に手紙、書簡のやりとりの頻繁さは私の想像を絶するものがありました。その手紙のやりとりの面白さ、豊かさはなんとも言えず、この交流によって人間として、お互いに成長していくのを、まざまざと見せられ、人間子規、人間漱石、人間寅彦等が育っていったのかとつくづく思わされます。
日本は現在、人生80年、90年の長寿社会に突入し、私は齢79歳になります。そして物価高とはいえ物はあふれた平和な時代を過ごしています。恵まれた人生を送る中で、私達は満足と言える人生を送っているのでしょうか。何の心配もなく、何もしないで老いるだけ、そんな無意味な人生を送ってはいないでしょうか。寿命は長くなってきましたが、その中身は充実しているのでしょうか?
子規から学べることは、人生の深さと中身の充実とは、その人生の長さではなく我々が何を考え、何を行動するかにかかっているかと思えます。ただ年老いるだけでなく、友人を沢山つくり、色々考え、そして行動する、これが人生を全うするということではないかと思います。政府から指示された通りではなく、人から強制されるのではなく、人まかせにせず、自分で考え、信念を持って行動する、それこそが自分自身の充実した人生を送る方法ではないかと思うのです。65歳、70歳で引退して、何か趣味等があればいいのですが、何もせず、何も考えず日々を過ごすのは、非常に気楽で苦労がないと思われるでしょう。ところがどっこい人生はそんなに甘いものじゃないのです。その反動が認知症、病気等となって出てきているように思われます。
与えられた命を生きるなら元気に楽しく生きましょう。せっかく与えられた寿命ですから…。
「死ぬものと誰も思わず花の春」子規の一句です
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)