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先日、高市首相の衆議院予算委員会での発言を聞きました。その中である党員が、台湾有事の際はどうするのかという主旨の質問を何度も繰り返したので、首相も日頃の言動の通り、「台湾有事は日本の存立危機事態になり得る」と明言しました。歴代首相は明言を避けてきましたが、今回高市首相が初めて明言したことで大騒ぎとなっています。
私はこのやり取りを聞いていて、公の場で国会議員たる人がなんと愚かな質問をしたものかと思いました。政治は明と暗に分けられ、この有事に対し旗色をはっきりさせることは、暗の部類に入り、どの国もそれをはっきりさせないで、うやむやにしておきたい部分だと思われます。その暗の部分を明の部分にさらけ出すように仕向けたことは、その政党の稚拙さを如実に表したものだと思ったのは私だけでしょうか。
友人関係でさえ、あの人を好きか嫌いかの旗色をハッキリせよと言われても、なかなかハッキリできないのに、国家同士でその仲をハッキリさせよというのはどう考えても拙い質問としか言えません。しかし、他の国の差し金で言わされていたとすれば、国賊であり、日本国民を代表する議員の資格はないと思われます。
これが表題の「こうすれば」になる訳です。では、「ああなる」はどうかと言えば、その反対立場の国から厳重な抗議がきて、国民の訪日を控えさせる、交流を途絶えさせるという反応になっています。「こうすれば…ああなる」ということが読めない場合は、無風の所に波風を立たせ、結果として何億という経済的損失、そして国家同士の争いへとつながるのです。私はこの日本人の外交音痴ぶりを露呈した結果ではないかと思います。
日本は四方を海に囲まれた島国です。この島国で生まれ育った日本人が、自分一人が正しければ良い、自分が正しければ相手も正しくなるという「根性良し」は島国根性そのものです。よって外交の未熟さが世界の先進国の中でも低レベルではないのかと心配になります。その上マスコミの対応といえば、相手国の反応のみを大々的に取り上げ、台湾の反応はほとんど報道されていません。最近のマスコミは偏って煽るだけで、事実を公平に扱っていないように感じます。公平な報道こそが求められます。
また、有事に対する高市首相の正直な回答にも残念さを感じます。正直であれば良いという正義感だけでは、国の将来の運営が出来ないのではないかと思われます。「こうすれば」「ああなる」ということが如実に表れています。戦争を止めよう!の訴えだけでは戦争がなくならないことは、今の世界が証明しています。我々は、「こうすれば…ああなる」を予測し、争いの種を先につんでおく、未来を想像することこそが大切だと思います。
軍事も外交の手段です。この外交の手段の装備をせよと言っている訳ではないのです。台湾有事の際に、具体的に我々日本国民は何をするのでしょうか?ただ言葉だけの日本人であってはいけないと思います。相手国は日本をなめ切っています。実際、現在の日本は何も装備しておらず、何もできないのです。そんな時に有事なんて、軽々しく口に出さないでほしいのです。
「こうすれば」「ああなる」 先を読んだ政治を。すべての発言をする時は慎重に。
政治家は、もっと勉強をしてください。
国民の暮らしを安心、安定させる事に心血を注いで欲しいと強く訴えます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
谷川俊太郎さんをご存知でしょうか。教科書にも載っていて、名前は幾度か聞いていても歴史上の人物のように思え、遠い存在なのではないでしょうか。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞など実に幅広い作品があります。
日本の文学と文化に多大な影響を与え続けた第一人者で、作品は英語、中国語など20数か国語に翻訳され、世界中の人々に親しまれています。2024年11月13日に老衰のため92歳で亡くなられました。
有名な谷川俊太郎さんですが、実に小松にはご縁のある方だったのです。きっかけは、1996年にALSで在宅療養をはじめられた西尾健弥さんが、好きな詩人の谷川俊太郎さんの詩の朗読を聞きたいと言われたことからです。榊原千秋さんが、じかにお手紙を書いて快諾頂き、1997年にホームコンサートが実現しました。
そのとき朗読された詩が「魂のいちばんおいしいところ」でした。その後、「生と死の文化を豊かにするコンサート」として、25年以上にわたり小松市内のお寺で10回を超えるコンサートを開催いたしました。西尾さんは、谷川俊太郎さんの詩に励まされ、私達は谷川俊太郎さんと、じかに接する機会に恵まれ、詩の世界、詩の哲学に触れることができました。また、ご子息であるピアニストの谷川賢作さん、詩人の覚和歌子さん、シンガーの小室等さん、木村弓さん、DiVaのまこりんと、実に多彩なゲストを毎回お迎えし、朗読や歌を聞くことができました。時には会食もご一緒することがあり、カラオケで谷川俊太郎作詞の「鉄腕アトム」の主題歌を大合唱したことは懐かしい思い出です。
谷川俊太郎さんはいつも物静かで、気さくでありながら畏怖の念を感じました。人の心の奥底まで見透かされそうな目と、発する言葉からです。圧倒的な力があり、人智の及ばないような雰囲気を醸し出されていました。流石に超一流の人物は違うなと感じました。これは詩を作り続けることによって、透徹した考えに達したからでしょう。その佇まいには、独特の雰囲気、輝きがありました。
詩の朗読が始まると、眼の前にパノラマのように宇宙が、自然が広がるのを感じました。谷川哲学の一端に触れ、自分らしく生きることを学んだように思います。
「ALSの仲間たち」の活動は、「いのちにやさしいまちづくり ぽぽぽねっと」に
なり、「NPO法人ホームホスピスこまつ」に引き継がれています。
小松の街づくりが、障がいを持った子どもから大人、病いと共に生きる人、高齢になっても安心して暮らすことを望む人達のためにも、生かされるよう願います。
私達の心の中で谷川俊太郎さんは生き続けています。
「ありがとう谷川俊太郎さん」としての、これまでの活動は、認定NPO法人取得が出来たことにもつながっています。認定NPO法人取得記念コンサートは、2025年11月3日に無事開催いたしました。今後、仲間たちと共に志を継いで広げられたらと思います。
さぁ小松市民よ、日本の、世界の谷川俊太郎を知ろう、学ぼう、楽しもう、偲ぼうと呼びかけます。
「魂のいちばんおいしいところ」
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたが私にくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに
何ひとつ言葉はなくても
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごを実らせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上にひろがる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らって
そうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
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ありがとうございました。
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最近「モモ」という児童文学を心理学者、河合隼雄氏の著書の推薦で読みました。作者であるミヒャエル・エンデは、ドイツ人の児童文学作家で、「モモ」は1973年日本語訳され絵本にもなり、日本でも100万部以上が売れるベストセラーとなりました。主人公がモモという孤児の少女の物語で、その内容は人類に対する警鐘であり、私が常日頃疑問に思っていることが氷解するような内容でした。
私は最近時間の経過がものすごく早く感じるようになっています。79歳となった今、益々忙しくなったように思えます。それは何故か、効率化・時間の短縮化を目指して、どんどん世の中の変化を自分自身で早くしているのです。そんなに時を効率化しなければいけないのか。その効率化した時間の残りを有効に使っているのか。時間泥棒にその時間を盗まれていないのか。時はチクタクと進みます。時計は人間が生み出したものであり、その時計によって、人間は使われるようになってきたと思います。人類の歴史を振り返ってみると、縄文・弥生時代は悠久の時を刻み、自然の季節に従って人も動物も植物も生きてきたように思います。それが、人間が効率を求め、人間が勝利するように自然を支配し、自分の思い通りに動かし始めた途端、人間が時間に支配されるようになったと感じるのは私だけでしょうか。
それが昭和、平成、令和と年代を重ねるごとに慌ただしく感じられるのです。「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」の句も、今は100年となってきています。寿命は延びても、その豊かさは本当にその年月にあるのか。現在はないのではないか、と思われます。時々耳にするのが「時間を潰す」と言っている人の声です。私はこの「時間を潰す」と言う言葉が大嫌いです。なんで時間を潰すんや、もったいない、もっとする事が一杯あるやろと言うのが私の素直な気持ちです。余暇を楽しむという気持ちこそが大切なのではないのか。
人間は文化という効率とは反対のことを生み出しています。慌ただしい世の中で、人間は文化を育てています。この文化は、自然が刻む「時」ゆったりした「時」に人間が浸って居られる唯一の手法ではないかと思います。そういう意味で、あらゆる人間に平等に時は流れ、平等に死は訪れます。この貴重な時を潰して良いのか。いや有意義に使うべきです。暇を潰すのではなく、暇「時」を時間泥棒に奪われないで、時間を有効に使うというのは結局自分自身がどう考える事ではないか。
人は何歳迄生きられるかは分かりません。与えられた人生を有意義に生きられたらと思います。有意義に生きるには効率的となるのが良いのか。時間を自分の意思で支配する為にはどうすれば良いのか。などを改めて、「モモ」という児童文学を読み終え考えさせられました。「モモ」を一度、又は大人になって改めて読まれることをお勧めします。
やみにきらめくおまえの光、
どこからくるのか、わたしは知らない。
ちかいとも見え、とおいとも見える、
おまえの名をわたしは知らない。
たとえおまえがなんであれ、
ひかれ、ひかれ、小さな星よ!
(アイルランドの旧(ふる)い子どもの歌より)
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
私は20年前に胃の3分の1を切除してから、食べ過ぎ、早食いが最も辛くなりました。過ぎたるは及ばざるが如し、調度良いが一番良くなってきたように思います。その調度良いとは、「量の問題、早さの問題、タイミングの問題、可も無く不可も無く、少し足りないぐらい」が調度よいです。物余り時代はいつまで続くのでしょうか。片寄りが多く、過多に摂取し身体を壊す、身体の為とサプリメントを飲む、薬の摂取が習慣化して過剰摂取となり、身体の不調を訴える者のなんと多いこと。何でも薬に頼る薬大好き国民の日本人、早期発見という名目で健康診断大好き国民の日本人。
しかし75歳以上の後期高齢者にとって健康診断は本当に必要なのでしょうか。具合が悪くなった場合や、身体に支障がある場合は必要ですが、何も症状がない場合の健康診断は必要かと疑問に思います。たとえ症状の出ていない病根が発見されたとしても、治療はする必要があるのか検討が必要でしょう。薬によって治る程度であれば治療すれば良いのですが、手術となると大ごとです。まして内視鏡ではなく、開腹、除去、切除となれば、身体に大きな負担がかかります。手術や副作用が強い治療は控え目にして、穏やかな治療で、病と共生する気持ちでいるぐらいが良いと思われます。髪が抜けるような抗がん剤治療は、がん細胞はなくなりますが、免疫力が低下して感染症にかかり、結果的に短命に終わる場合があるようです。生きる目標年齢が85歳ぐらいなら…?病気と共生した方がはるかにいいのではないかと思います。一病息災と言うように、持病が一つくらいある方が、無病の人よりも健康に注意し、かえって長生きできるのではないでしょうか。
ことわざに「言葉を慎めば禍なし 食事を節すれば病なし」ともあります。日本人は完璧を求めすぎる。この世の中に完璧などというものはあるのでしょうか?いやないであろう。日本人は潔癖性であるが故に完璧を求め、がんを完全に克服しようとするのか?完璧にがん細胞を切除しようとするのか?がんとどうして共生できないのか?若いとがんの進行は早いと言われていますが、高齢者はどうなのか?そんなに早いとは考えられないのですが、それならば、高齢者と若年者に対する治療法を変えるべきではないでしょうか。
人生100年、その100年を健康に生きられたら最高にしあわせです。その為には身体を常にいたわりながらも、ハザード(障害・障壁・危険因子)をもうけ、そのハザードを常に超える努力が必要だと最近つくづく思います。バリアフリーとは、高齢者や障害者などが社会生活を送る上で障壁となるものを除去し、誰もが快適に暮らせるようにすることです。しかし、その生活こそが、我々人間の能力を退化させる元凶かもしれないと思われます。我々は、ハザードがあればこそ、それに対応しようと努力するので、ハザードの無い人生は、無味乾燥なものとなるのではないかと思います。79歳、これからの人生を意味あるものにし、楽しみたいものです…。
また、話は変わります。
弊社はおかげさまで、8月19日に無事40周年を迎える事ができました。これもひとえに、地域のみなさまのおかげと心より感謝申し上げます。
総合不動産業として、お客様が不動産を活用して、本当の幸せになるためのサービスをさせて頂きます。経営理念は、「先義而後利者栄」(義を先にして利を後にするもの栄える)です。開業当初からの、誠実、迅速、安心を心がけまして社員一同頑張ります。
どうぞ幾久しくご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
不動産遊民
都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)
これにて大領町分譲地完売となりました。
ありがとうございました。
成約となりました。
ありがとうございました。
ご成約となりました。
ありがとうございました。



