アールエス都市生活株式会社

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ご成約となりました。

ありがとうございました。

世の中に良いと思われることは多数あると思われるのに、それを採用しない、無視する、見過ごすことがあります。

私は3年前にお酒を止めました。金沢の片町にある平らな道路で酒に酔っていて、つまずいて転び、その際に右額を3cm程切りました。それ迄は飲酒中によく居眠りをしていたのですが、酒の飲みすぎと食事の不摂生が原因だと後で聞かされました。何はともあれ、家族に言われて、その日から飲酒を止めました。もう、3年ぐらい経過していますが、実に体調が良いのです。「酒は酒毒」と言って、まことに体に悪いのですが、「酒は百薬の長」とも言われています。思い返しますと、酒を習慣的に飲み、止めることができなくなっているようでした。最近では、よく止められたね、少し寂しくないかと逆に聞かれます。私はお酒を止めるということに何の抵抗もなくスパッと止めることができたのですが、周囲の人からすると、その行動が不思議なようで、よく質問されます。私はズルズルと毎日毎日飲み続けることをやめて、特に慢性化、中毒化することだけは避けたい性格なので止めることが出来ました。その一度決めたら曲げない性格も友人たちから不思議がられます。しかし世の中の様々な話を聞くと、アルコールの飲み過ぎは実に弊害が多いように思います。ほとんどの飲酒者が身体を壊していると言っても過言ではないようです。

私はアルコールを止めてから、身体の中に一本筋が通ったようで、飲食中に居眠りすることもなくなり、意識がすっきりし、体調が良くなりました。何か身体がシャキッとした感じで、とても爽快です。ゴルフも少し飛距離が延び、スコアーもアベレージが良くなってきたように思えます。

アルコールを飲む人は血液、特に脳溢血(のういっけつ)、脳梗塞(のうこうそく)類の病を患い、その結果、短命の人が多いようです。また、老化の初期であり、人生の一番大切な時期(特に60歳から75歳ぐらい)に身体に変調をきたしているように思われます。この人生の最期を飾る一番大切な時を、我々はアルコールや煙草等の不摂生によって台無しにしているように思います。この時期こそが人生の仕上げなのではないかと思われます。

私達の一生は何の為にあるのでしょう。引退して子ども達に後を任せればそれで終わりなのでしょうか?私達はこの世に生きた証を示さなければいけないのではないでしょうか?その為には健康な身体と心こそが必要ではないかとつくづく感じます。子どもに迷惑をかけられないとサプリメントや薬に頼る人が多いように思われますが、私は食事・運動・睡眠の摂生こそ今求められているのではないかと思います。自分の人生は自分の意志で切り開きましょう。残された人生を社会とのつながりを積極的にして楽しみ、充実させて終わりたいものです。人生100年時代を健康に生きたいものです。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

平素は格別のご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。

弊社では、以下の日程を夏期休業日とさせて 頂きます。

  8月12日(火)     営業
      13日(水)     午前店内掃除/午後休み
      14日(木)     休み
      15日(金)     休み
      16日(土)      休み
      17日(日)     休み
    18日(月)     営業
お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
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只今、子規全集(講談社)全25巻中の第21巻782ページを読み終えました。毎朝10ページ程を読み、78日間。第1巻からですと約5年間を毎日非常に楽しく、面白く堪能させてもらっています。正岡子規は慶応3年(1867年)生まれ。現在の東京大学予備科に入学し、新聞記者になります。その人生は俳句の世界で実に充実しておりましたが、明治35年(1902年)36歳で子規庵の4畳半で永眠しました。

病床六尺から、世界観は日本全国、世界、宇宙へと広がっていったように思います。36歳と言えば、まだ若輩で、肉体も精神も成長の途上にある頃だと思います。生涯の間に、俳句を作り、俳諧の様態を改め、江戸時代の芭蕉、蕪村を研究してその作風の批判・批評をし、俳論をまとめ上げ、現代俳句の基礎を造り上げています。結核性脊髄カリエスを患い、体から膿が流れ出ようになっても、その痛みに耐え、読書をし、資料を集め研究し、文学論をまとめ、句会を開いては句を作り、句集を作り、夏目漱石を初めとして寺田寅彦、高浜虚子、河東碧梧桐などの友人達との情報交換、主に手紙、書簡のやりとりの頻繁さは私の想像を絶するものがありました。その手紙のやりとりの面白さ、豊かさはなんとも言えず、この交流によって人間として、お互いに成長していくのを、まざまざと見せられ、人間子規、人間漱石、人間寅彦等が育っていったのかとつくづく思わされます。

日本は現在、人生80年、90年の長寿社会に突入し、私は齢79歳になります。そして物価高とはいえ物はあふれた平和な時代を過ごしています。恵まれた人生を送る中で、私達は満足と言える人生を送っているのでしょうか。何の心配もなく、何もしないで老いるだけ、そんな無意味な人生を送ってはいないでしょうか。寿命は長くなってきましたが、その中身は充実しているのでしょうか?

子規から学べることは、人生の深さと中身の充実とは、その人生の長さではなく我々が何を考え、何を行動するかにかかっているかと思えます。ただ年老いるだけでなく、友人を沢山つくり、色々考え、そして行動する、これが人生を全うするということではないかと思います。政府から指示された通りではなく、人から強制されるのではなく、人まかせにせず、自分で考え、信念を持って行動する、それこそが自分自身の充実した人生を送る方法ではないかと思うのです。65歳、70歳で引退して、何か趣味等があればいいのですが、何もせず、何も考えず日々を過ごすのは、非常に気楽で苦労がないと思われるでしょう。ところがどっこい人生はそんなに甘いものじゃないのです。その反動が認知症、病気等となって出てきているように思われます。

与えられた命を生きるなら元気に楽しく生きましょう。せっかく与えられた寿命ですから…。

「死ぬものと誰も思わず花の春」子規の一句です

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

飲みたい時に飲める新鮮な水と、食べたい時に食べられる食糧さえあれば、それ以上に求め文句を言うべきでない、というのが人生の本質と言えるのかもしれません。しかし、それ以上の欲を求めることによって人間同士の争いが起こるとしたら、なんと愚かなことでしょう。人間が仲良く生きていくにはどうすればいいのか?これは我々人間の永遠のテーマではないかと思います。

私達は、毎日働いて生活費を稼ぎ、少しでも節約して貯金をし、将来に備えます。少しでも余裕ができれば富を蓄える、この富がくせ者で、人間の不平等を促進するのかもしれません。だとすれば、今の日本の所得格差の拡大は、富の蓄積の格差の拡大につながり、将来の不平等につながるかもしれません。

今、世界を見れば、アメリカではアメリカン・ドリームと言われ、成功者と一般市民との貧富の差が、どんどん開いています。そして富が富を産み、不労所得がどんどん増え続け、トランプ大統領のような超富裕層が出現し、政治まで壟断しています。

片や、インドでは全国民の約3%の人が富の5割~7割を所有し、多くの人々が路上で生活したり、物乞いをしたりして生活しています。そして富裕層は貧しい人々に施しを与え、不満が爆発しないようにガス抜きをしているのです。富及び収入の差は、時が経てば経つ程増大し、格差がどんどん拡がっていくのです。

冨の拡大は、教育に広がり、資産家はより重厚な教育を受けることができ、知的資産もどんどん増大します。そして知的先進地域へ進出し、世界中の人々、特に社会を牛耳る世界に社交の輪を広げています。

冨の偏りは、格差へと繋がり、各地に身分の差を生じさせ、それが年月を経て、歴史化されると、どんどん格差が拡大し、平等は失われていくのです。

では平等な世界とはどのような世界なのでしょう。そもそも平等とはいったい何なのでしょうか。私たちは平等を頭の中では考えられるような気がします。しかし、現実的には収入や権利が均等にあれば平等なのでしょうか?例えば収入一つとっても平等にするのはとても難しいと思います。まず能力の差がある場合は、収入に差をつけるべきだと思います。また熱心さの違いがあれば収入の差にすべきです。長期間働く人と、そうでない人にも収入の差をつけるべきです。その差によって収入に差が出てきます。でも逆に差がないと平等ではないのです。

私たちは人生に対して意欲を持って歩むのと持たないで歩むのとでは、長い人生、たかだか100年未満の人生ですが、差が出てくるのです。

とすれば、これが千年、何千年と続くと、どんどん格差が広がっていくのです。これに拍車をかけるのが富の蓄積です。これは実にくせ者です。それは何故かというと、富が富を生むからです。特に不動産は富を生みます。世界の富裕層は必ず富を蓄積し、不動産を所有していると言っても過言ではないと思います。その上、賢い人はその富を使って子孫に教育を施します。この教育は人を育て、その人が資産を運用し、どんどん資産を増やしていき、より格差を増大させていきます。ということは、この格差というものは、我々人間にとってなくすことのできない必要悪なのでしょうか。そう考えると、日本社会は比較的平等な社会、身分格差に対して差別のない社会なのかもしれません。私たちは平等な社会を目指しますが、格差社会は、私たちの心の中にこそ芽生えるのかもしれません。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

数年前から、学校が壊れるということをよく耳にします。校舎が壊れているという意味ではなく、学校の教師が自信を失い、学生達が一生懸命勉強しなくなったというのが、学校が壊れるという表現になっているのではないかと思います。

その結果、学力は落ち、社会秩序を守れない子ども達で溢れているのが今の状況ではないでしょうか。その子ども達が、子どもを産み、育てると、世の中が壊れてくるのは当たり前のことだと思います。幼児の虐待、殺人、窃盗の増加、その他あらゆる犯罪が増加しているのではないかと想像できます。

安全な国、日本はどこへいったのでしょう。このままでは真面目に働く人が損をし、犯罪者が得をするという社会になっていくのではないかと危惧されます。

この原因はどこにあるのでしょうか。やはり教育方針にも、原因があったのではないかと思います。それは、個性を尊重する、伸ばすという教育です。では個性とは何か。広辞苑によれば、「個人に具わり、他の人とは違う、その個人にしかない性格、性質(individuality)」と意味づけられています。

この個性を教育によって伸ばす必要があるのでしょうか。私は、個性は伸ばす必要がなく、生まれつきその人その人が持っているもので、それを伸ばせば伸ばすほど社会性がなくなっていくという代物であると思っています。その結果、自己中心主義の我がまま人間が生まれ、犯罪に走るという今の日本社会につながっていると思います。

やはり人間は、集団生活をする動物であり、社会を形成して初めて生きられる動物なのです。その動物が人と人との繋がり、人と人との関わりの中で、生きていく為にどうしたら良いか、どう生きるべきかを教育すべきなのです。それこそが教育の本当に目指すべき方向だと思います。人間社会は歴史を積み重ね、その歴史とは失敗の積み重ね、そして、より良い人間社会を作る為に努力してきました。その結果が今の社会なのです。

しかし、個性重視の教育方針によって、社会が壊れているのです。戦後、敗戦による打撃と全体主義への反省からか、偏った教育方針が野放しになってしまったように思えます。個性重視の教育、それは教師が教えられる世界ではないのです。

例えば、現在ドジャースの大谷翔平選手は、普通の教師では教えるのに限界があります。何故なら彼の個性は能力、特に優れた身体能力であるからです。この大谷選手に普通の教師が教えられると思いますか?そのことが、教育現場で教師が悩んでいることなのです。

教育方針として打ち出さなければならないのは、人として最低限守らねばならない社会ルールを、どう守って生きていくべきかということなのです。それは教師があの大谷選手にでも教えられることなのです。ドジャースの大谷選手が人気なのは、強い個性の上に、人としてのルールを身に付けているからだと私は思います。

教育は、社会のルールを教え、そしてその上で、その人の能力をいかに伸ばすかを方針とすべきで、放っておいても出る個性を教育によって磨く必要はないのです。何故なら個性はその人、個人がそれぞれ持っているものだからです。

今の若者たちは、働く場所がないと言って、親の元から羽ばたかないのではなく、世の中に出ても一人の人間として成長しきれない人間を教育してきているからなのです。

教育は原点に戻り、社会のルールを教え、能力を磨く、そんな教育をするべきだと思います。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

私は先日、七尾市中島町にある能登演劇堂へ行ってきました。「まつとおね」の観劇です。劇場は昨年元日に起きた能登半島地震の影響で1年以上閉館していたのですが、久しぶりの開演で楽しませてもらいました。劇そのものは史実からずれているような気がして違和感がありましたが、女優のふたり芝居の熱演は見事でした。観劇の後、能登半島地震で被災した和倉温泉へ行ってきました。加賀屋をはじめほとんどの旅館が営業しておらず、のと楽など数軒が営業しているような状態でした。道路は隆起、陥没している状況で、当時の地震のすさまじさが今更ながら蘇ってきました。小松地区は比較的微小な被災で幸いでした。能登の皆様には、心から大変だったと感じ、何と言ったらいいのか、今後の復興を心から祈り、応援したいと思います。

しかし、地震というのは地球の活動で、何十年、何百年のサイクルで起こるものなのです。私の記憶では、マグニチュード7以上の震災の経験はありません。過去の記録でもここ何百年の間、巨大地震は起こっていないのです。という事はあのような巨大地震は、余震はあるかもしれませんが、百年以上はないのではないかと考えられ、必要以上に怯える必要はないと思うのです。逆に怯えなければならないのは、太平洋側の南海トラフではないでしょうか。関東大震災から約100年が経過しています。東京という大都市が一番危険なのではないか?巨大に膨れ上がった都市、食料を自給できない都市、運送で維持している東京こそ怯えなければならないのではないかと思えるのです。巨大化したためにひ弱な都市になった東京、ここに住む人達はどう対処したら良いのでしょう。

最近国土交通省は二地域の居住地域を持つ事を提唱しています。大都市からの脱出は地方しかありません。特に日本海側の北陸は最適だと思われます。東京から飛行機で1時間、新幹線で約3時間の交通アクセスも魅力です。特に小松地区は、災害は比較的少なく、台風等は白山が守ってくれることが多く、白山の懐の中の小松こそ、二地域居住地として最適ではないでしょうか。

小松市は、これから東京の二地域居住地としてインフラを整備していくべきです。その為には小松の都市計画全体を見直し、都市の人の受け入れが重要です。すでに支援制度があり、補助申請の受付も始まっています。

災害は忘れた頃にやってくる、とはいえません。石川県の能登と金沢、小松では、地域差が若干あります。小松は比較的安全なのです。また、能登半島もこれから数百年は巨大地震が起こる可能性は低いと思われます。マグニチュード3とか4の余震はあるかもしれませんが、余震のある方が、エネルギーが溜まらないので比較的安全と思われます。必要以上に恐怖をあおる必要はないのではないか。逆に太平洋側こそが、より可能性が高いと思われます。その為に二地域居住こそが、これからの災害対策の重要な柱となるのではないでしょうか。今後、小松は迎える準備、おもてなしの心の準備を求められるのではないでしょうか。

地震の予知は歴史からも学ぶべきなのです。何年に大地震があった、その何百年後にまた地震があった、その時に津波がここ迄来た、その言い伝えが大切なのです。私達はただ怯えるだけでなく、歴史から見た冷静な判断こそが求められ、防災はそれに基づいて成されるべきなのです。

私は78年間小松に住んでいますが、ほとんど大きい地震を経験していません。日本海は水深が150m程で、水深が3,000mを超える太平洋とは海水量が違うのです。太平洋側と同じ津波が起こる訳がないというのが私の持論です。歴史的に見ても、小松はほとんど津波の経験がないのです。二地域居住には小松市の若き市長に、ぜひとも奮闘していただきたい。都市の人が住み易い小松、災害の少ない小松へ、是非来て小松!!ラブ小松!!

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

昔、親から「50代になったら自分の顔に責任をもちなさい。」と言われました。それがどういうことかは、頭から離れない疑問であり、テーマであり続けています。単なる加齢による老化した顔のことではありません。しかし、それが少し解りかけているのです。「人間50年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり」と人生わずか50年ともいわれました。

「50代の顔」というのは、50年の人生を過ごし、体験して人格を磨いた結果が顔に現われてくるという意味だと私は理解しています。最近は人の顔を見ると、人それぞれのこれまでの人生が顔に現れているのが実感としてわかります。凄まじい人生を送ってきた人の顔はそれが現れます。誠実な人生を送ってきた人の顔は正直さが現れています。人を騙すような人生を送ってきた人の顔、自分の人生に自信をもって生きてきた人の顔、サラリーマン人生を真面目に送ってきた人の顔、それぞれの人がそれぞれの人生の顔を持っていると言っても過言でないと思います。その人生の重みをその顔から少し伺えるようになってきたように思えます。

そして、この思いで1月下旬のフジテレビの社長及び役員の会見の顔ぶれを見ると、50代以上の顔なのに非常に顔が良くないのです。日本のマスコミ大手の経営者の顔とはとても思えず、苦しい決断をしている顔、危機を乗り越えてきた顔ではありませんでした。実に平々凡々な顔で危機対応がなっていないのです。だから11時間にも及ぶ記者会見をしたにもかかわらず、何ら結論を得られたようには思えなかったのです。そして、このゴタゴタは人の記憶が薄れるまで延々と続くでしょう。

この騒ぎは何故起きたのでしょうか。詳細は分かりませんが、トップのトップとしての能力の欠如が第一の原因だと思われます。経営能力が欠けた役員が昇進していき、トップになる。そして50代の顔ができていない上に、ごますり、忖度、おもねる、全体を考え不正を不正と言えない、間違いを正せず、正義の声を上げられない体質を作っていったのではないかと思えます。

大手の会社に入社した頃の社員は希望に燃え、正義感溢れる人達であったと思います。その人達が長い年月をかけて、長い物には巻かれよ、強い者には負けろ、そうでないとサラリーマン人生がやっていけない、そんな人達だらけの組織になってしまった。その証に、このトップの人達の顔が芯の通っていない顔になるのではないかと思えます。

経営者とは、磨き上げ叩き上げられて、経営能力も備えたうえで立身出世していかれる人のことでしょう。今後、社会に通用するためには、真面目に努力し、豊かな人生経験を積んで、人格の形成を成し遂げた経営者が、50代の良い顔を持った人材を抜擢できるような健全な組織こそが必要です。

本物を見分ける力、美しい物を見分ける力、これは日本人が最も苦手とするところです。その為には自分磨きをしなければなりません。若い頃から絶えず、文化・芸術・スポーツ等に励み続けることが大切。そのうえで、社会、経済と広く世界を見、あらゆる物を見据えながら、人を見る力を蓄えていかねばなりません。

最後に物事を解決するのは時間と人なのですから。そういう私も自分の顔は鏡を通してしか見られないのです。自分の顔に責任をもてるかは自分では解らないことです。人生は一瞬の積み重ねで、それが50代の顔をつくり、生涯を通して良い顔になれるよう努力をし、懸命に生きるのみです。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

成約となりました。
ありがとうございました。

ご成約となりました。

ありがとうございます。

Name:
高橋 達也
Position:
店長・売買営業
Career:
宅地建物取引士
2級ファイナンシャル・プランニング技能士
Message:
不動産は無理して買うものではありません。また不動産を買うことがゴールではありません。むしろスタートです。
一緒にスタートを切るお手伝いを精一杯させて頂きます。

Name:
金川 明充
Position:
主任・売買営業・賃貸営業
Career:
宅地建物取引士
Message:
不動産購入・売却へのストーリーはお客様の数だけ違います。一人一人のペースやタイミングに合わせた接客や情報提供を常に心がけています。
何なりとお気軽にご相談ください。

Name:
大山 藍子
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様と同じ目線に立ち、ご希望にあった物件に出会えるよう精一杯サポートさせていただきます。
誠心誠意対応し、信頼して任せていただけるよう努力いたしますので、お気軽にお問い合わせください!

Name:
小川 香奈恵
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様が安心して新生活のスタートができるように全力でお部屋探しのお手伝いをさせていただきます!
お気軽にご来店ください。笑顔でお待ちしております♪