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「のう越後屋、お主も悪よのう」この一節は、ドラマ水戸黄門の悪徳商人が越後屋に向かって言うセリフで、越後屋とは江戸時代の豪商です。どうも日本人というと、清廉潔白が理想で、商売というと何か悪いことをして儲けているようなイメージが強いようです。昔から士農工商といって、社会的に商人は一番低い地位にありました。しかしお金の力で世の中はだんだんと変化し、その結果、明治維新という大きな社会変化となって現れたのです。越後のちりめん問屋、越後屋、鴻池(こうのいけ)家等は江戸時代の豪商ですが、飢饉の際は米の買い占め、火事になれば材木の買い占め等を担当官僚等と癒着して行い大儲けをしたため、庶民は商人に対し良いイメージを持っていなかったようです。いずれにしろ今も昔も悪い人達がいたようです。

しかし最近は、テレビドラマの悪役をする人の顔がどうも悪役をする顔でなくなってきているように思います。我々の子どもの頃の悪役の顔といえば、本当に悪いことをしそうな顔をしていたものです。今のドラマを見ていると、ほとんどがイケメンで、背が高くて足が長く、顎がなくてラッキョウ顔で、小顔でスタイルのよい人ばかりです。えらが張って、目がギョロリとして、鼻が大きく横に拡がり、胴が長く、足が短くて悪知恵が働きそうな悪役はどこへいったのでしょう。いつからか皆同じような顔つきになり、人を殺したりお金を盗んだり悪事を働くのは普通の顔の人で、精神的におかしいと思うような人が増えたように思います。

昔は貧しくて食べる物がない為に盗みをしたようですが、今は贅沢をする為に盗みを働くようです。それも普通の顔で。昔は平生の行いが顔に出たものですが、それは今も変わらず、自分の行いが顔に現れると思います。罪を犯すと、常に精神鑑定をしなければいけない今の世の中を見ると、これまでの教育は正しかったのかと心配になります。

私が言いたいのは、悪人のことではなく、悪役をする人が実に少なくなり、悪役がよくないドラマは見ていても全然面白くないのです。まるで全く味が無い、さび抜き寿司を食べているような味気無さが残るのです。やはりドラマを面白くするには悪というさびが必要なのかもしれません。

善がなければ悪がなく、その背景に深い深い思惑がひそんでいなければ何の面白味もありません。

最近の日本人の平準化の要因が、平準化された教育にあるとすれば大変なことではないでしょうか?個性を育てない、自分で思考しない、教えることのみが多く、学ぶことが少ない、友と交流することが少ない、教育が必要なのでしょうか。一律の平均的人間しか育てられない教育、学歴だけが物を言う教育が、はたして必要なのでしょうか。ある大学を出たら評価する、その人が持っている資質を評価できる日本人がいかに少ないか。学歴だけで相手の実力を評価するのではなく、その人の実力を正しく評価することのできる人になれるよう自分を高めましょう。

悪人顔から教育の話になりましたが、人生百年いかに充実させ楽しい人生を送るか、それは自分で考え、それを実行して自分らしく生きることしかないのではないでしょうか。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

小松市の北の方、梯川を渡ったところ、現在美原町となっている所が私の母校旧板津中学校の校舎があった所です。その校舎は木造平屋建て、一部式階建ての校舎でした。田んぼの真ん中で田んぼに囲まれ、実に日当たりの良い校舎でした。

この板津校下は、梯町、梅田町、島田町、松梨町、御館町、大島町、蛭川町、犬丸町、長田町、高堂町、平面町、一針町、野田町、千代町、能美町等の町内で構成され、私たちの学年は4クラス約190人の学生で構成されていました。一クラス約42~3人で男女のバランスも半々ぐらいで、とてもバランスが良かったです。全校生徒も私が中学2年生の時、600人前後だったと記憶しています。

先生方も石髙寛さん、北村利子さん、新井睦子さん、小西一郎さん、中の鯰、前正寺、南、加納、蓮井、校長、私の父と同窓生の荒木先生等の多志才々の先生が若さいっぱいで頑張っていました。クラブ活動も実に活発で私の2年生の時、県の優勝旗が7本も学校に飾られているのが記憶に新しいものです。かく言う私も板津中野球部に所属し加南地区新人大会で辻佳久投手の活躍で優勝しています。時の顧問は後藤長兵で野球全然知らずの素でうまくチームをまとめあげていました。先生の浄瑠璃の技術が生きたのかも?しれません。とにかく先生と生徒のハーモニーが素晴らしく実に優秀で体育にも優れ、生徒は伸び伸びと学業にいそしんでいました。それは何故かと言いますと、梅田町は会社員の子ども、他の町は主に農家の子どもで、実に伸び伸び育ち、そのバランス感覚はすばらしいものがありました。今でも私の恩師達はあの頃の板津中学は楽しかった、面白かった、勉強もできてクラブ活動が素晴らしかったと思い出話を聞くと素晴らしい中学だったなぁと思います。

私は小学生の時担任と気が合わなくて荒れた小学校時代をおくっていたのですが、板津中学に入学して実に伸び伸びとした中学3年間を送らせていただきました。今の人間形成ができたのも、この3年間であったと言っても過言ではないと思います。私はこの板津中学校の雰囲気はどうして出来たのかと考えてみますと、やはり生徒の数が教育に実に適していたのだと思います。私達のクラスの人数は42~3人と実に適した人数だったと思います。その一番適した人数の板津中学校を板津、丸の内、安宅と合併しマンモス化を目指し私の目から見れば大失敗に終わったように思います。真面目な板津、街風の丸の内、漁港の荒々しさを持った安宅の合併により何とも言えない校風ができ上がったのです。それが元の中学校に分割するという不手際です。そして今に至っているのです。今のそれぞれの中学の校風がどうなっているのか今の私にはわかりませんが、元に戻っているのでしょうか?戻っていないというのが私の思いです。私は最近JRの電車に乗るために明峰駅に行くのですが、途中で新板津中学生に出会うのですが板中生の挨拶が実に気持ちよくされて先輩の私としては嬉しい限りです。昔の板中の雰囲気が戻っているのかなと思われます。

自然の恵みと言えば白山の雄姿が望めます。私は白山に実に助けられています。悩みがある時、行き詰まった時に白山を見ると、実に白山に助けられ、今でも白山を見るのが大好きです。そんな自然に恵まれ、地域に恵まれた板津中学時代の思い出は、今も私の胸深くしまわれています。やはり中学校の適正規模というものがあるのかな。理想とする人数はいか程か?常に研究すべきだと思います。未来の子供達の為に素晴らしい中学を作りましょう。

ちなみに私は板津中学校14回卒業生で旧板津中学校最後の卒業生です。たった14年しか板津中学は存在しなかったのです。今では美原町となっています。学校教育でどの時代に生徒が伸びるのかは、それぞれに出会う先生にかかっているのでしょう。教育の大切さを今更ながら思うばかりです。

不動産遊民

都市研究家  調(しらべ) 亮(わたる)

昔といってもそんなに遠い昔の話ではないが、私の家から時鳥の鳴き声が遠くから聞こえました。「キョ・キョキョ」、「ピピピピ」という鳴き声はとても澄んでいて、心が洗われたものでした。それは隣町の梯町の大きな木の上から聞こえていました。

もう聞こえなくなって久しいのですが、私の庭に椿の木があった時は、時鳥も鶯(ウグイス)も来ていたのですが、あまりに虫がひどいので切ってしまったら寂しいことに、もう雀と烏(カラス)だけになってしまいました。

時鳥は別名が、杜鵑、霍公鳥、郭公、子規、

杜宇、不如帰、沓手鳥、蜀魂と複数あります。カッコウ目カッコウ科の鳥で、カッコウに似ているが小形で、山地の樹林に住み、自らは巣を作らず、ウグイス等の巣に産卵し、抱卵、育雛を委ねます。鳴き声は極めて顕著で、「てっぺんかけたか」、「ほっちょんかけたか」などと聞こえ、昼夜ともに鳴きます。古来より夏鳥として、日本の文学、特に和歌に登場し、文無鳥(あやなしどり)、沓手鳥(くつてどり)、卯月鳥(うづきどり)、死出の田長(しでのたおさ)、魂迎鳥(たむかえどり)、夕影鳥(ゆうかげどり)、夜直鳥(よただどり)など様々な別名・異名が存在します。万葉集に、「暁に名告り鳴くなる時鳥」

とあるように、非常に名の知られた鳥です。

私が今、愛読しているペンネーム子規子も、この子規からとっていて、34年の生涯を駆け抜けた生き様とは、こんなに素晴らしいものかと毎日感動しています。子規全集全25巻のうち、12巻まで読み終えました。

俳句に対する考え方は素晴らしく、私も俳句を作れるのではないか、いや作らねばならない、作りたいという意欲が盛り上がってきており、こんなに簡単に作れるのかと感動しています。乞うご期待!

正岡子規は松山藩の出で、夏目漱石、河東碧梧桐、高浜虚子など多くの友人がいます。その友人たちは、子規が結核にかかって罹病する恐れがあるにもかかわらず(実際に罹病した人もいるそうです)、子規が死ぬまで俳句談義を重ねました。子規もその中で俳論を積み重ねていき、俳聖と言われるまで成長したのです。これは子規一人だけでは成長はとてもおぼつかず、仲間と語り合う、付き合う中で子規という人間が育っていったように思えます。

今、私たちは義務教育の中で、このような仲間と会話する機会があるのでしょうか。子規の仲間は非常にハイレベルで常にかんかんがくがくと議論し、激しい時は取っ組み合いになったことも一度や二度ではないようです。子規の友人関係が子規の俳論を築き上げたといっても過言ではないのでしょう。

私はここに人を育てる素養があるような気がします。記憶するだけの試験なんて意味があるのでしょうか、その記憶力で有名大学に入って意味があるのでしょうか。今、日本は壊れかかっていると思います。この大きな原因の一端はここにあるのかもしれません。相手に都合の悪いことは言わず、なあなあと流す日本流は、本質に全くせまることができず、ぼやけているように思えるのは私だけかもしれません。議論することに慣れていない日本人は、話し合いで解決しようとしますが、新しい結論に到達することは容易ではありません。

長寿は目出度く幸福ですが、子規の一生からは、長ければいいというものではなく、その一瞬、一瞬をどう生きたかではないかとさえ思われます。

今回は時鳥の鳴き声につられて子規を感じたままに綴ってみました。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

スティーブ・ジョブズ(1955年2月24日~2011年10月5日)の56年の人生は、凄まじい一生といって過言ではありません。まず、大学院生の私生児として生を受け、すぐに養子に出されました。里親に育てられ比較的穏やかに幸せに暮らしたそうです。その親から大学教育が必要と言われ、大学進学をします。しかし大学の教育についていかず、すぐに退学しています。大学に自分の学ぶべきものがなく、型にはまった教育なんて必要ないとの理由からでした。

そして、これ以後この考えは一貫していきます。自分の学びたいものを学び、人から押しつけられたことは一切しないで独自の道を拓いていったのです。しかし、さすがのジョブズも小学生時代は方向性が分からない状況に追い込まれ、犯罪に手を染める一歩手前だったそうです。そんな時、学校の先生に助けられ道を誤らなかったといいます。子どもの頃にそのような手助けを受けたことで、のちに感謝の気持ちを込めて、パソコンを学校に寄付しています。

育ての親はとても穏やかで、ジョブズにいい影響を与えていたようです。大学を中退して、自宅のガレージで5才年上のスティーブ・ウォズニアックと、たった二人で資本金1,000ドル(現在の日本円にして約130,000円)ほどの小さな会社を設立します。ウォズニアックは電子機器の天才、ジョブズはコーディネートの天才でお互いに協力しながら会社を大きくしていきます。その働き方は尋常ではなく、今の日本の労働基準監督署の労働条件でいうと常に違反していたと思います。私も若い頃は一日16時間労働で、一年の休みが10日もなく働いたものです。それが私たちの青春の10年だったのです。

ジョブズは、コンピュータ業界の先行に目を向け、その方向に進んでいくのです。コンピュータが海のものとも山のものともわからないまま、ジョブズ一流の感によって突き進んでいくわけです。その時の言葉に「コンピュータが感動を生むのではない、コンピュータで感動を起こすのだ」とあります。私も実にその通りだと思います。物が感動を起こすのではなく、その行為が感動を起こすのです。

そして、無から有を生じていく過程で、自分一人の力ではなく色々なスタッフを集め、その能力を高めるのです。スタッフの能力を高める才能は天才的です。様々な人々とのかかわりの中で商品を提供していき、全く世の中になかったような商品を次々と提供していきます。そこには、金儲けだけでなく、世の為になるという根本的な哲学を持ち続け、一切ぶれずに商品を提供し続けるのです。

それは日本の曹洞宗の僧侶、乙川弘文氏の禅による心の大切さの影響を大きく受けているらしいのです。次々と様々な商品や作品、マッキントッシュ、iPad、iTunes、ファインディングニモ、iPhoneなどを提供し、56才の生涯を閉じるのです。

実に短い生涯の中で、世界に影響を与え、人生とは何か?生きるとは何か?死とは何か?を常につきつめて生き続けた人生です。我々にとって、人生をどう生きるか、死をどう迎えるかは大きな問いですが、一つの示唆をされています。また、物を作り出す、お金儲けをするということに、常に囚われる場合もありますが、人生の選択肢の一つも提示してくれました。

今、私はiPhoneを使っていますが、手のひらサイズで小さく薄く、キーボードなく入力し、機能は無限にあり、動作も早く素晴らしく便利です。皆さんもスマホを使って感動を呼び起こしていると思います。

ジョブズは56年の生涯で、人の無知と保守性、そして人の能力を見分け教育することで、この世に存在しない商品を作り出したのです。「できるわけが無い」で大幅に改悪され、「つくれやしない」でまた大幅に改悪。これが自らの敗北をわざわざ招き寄せるとも言っています。

人の能力を見分ける力、良い人、良い物を見分ける特別に優れた能力をジョブズは保有していました。その人間性で凄まじい人生を駆け抜けたのです。少しでも見習えたらと思う次第です。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

癸(みずのと)の卯年です。

卯は身が軽く跳躍力も強く柔軟です。防衛費の増額、それに伴う増税、物価の高騰、コロナ禍の不安等も含めて厳しい時代が予想されます。また、金儲主義の風潮が強くなりつつあるようです。何が正しく、何を受け継ぎ、何を残せるのか。本物だけの儲けが求められる時代です。

耐えぬく力こそが卯年に求められると思います。

弊社の経営理念は、「先義而後利者栄(義を先にして利を後にするもの栄える)」(荀子)です。

この理念通り、損得よりまず義理を大切にする生き方こそが、これから、より求められるのではないでしょうか。

粘り強く敏捷に頑張りましょう。

本年もよろしくお願い申し上げます。

令和5年の初めに

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

日本の古代6世紀から7世紀頃の一族で、朝鮮の方から日本へ移り住んだ一族に蘇我一族がいます。ちょうど聖徳太子と同時期に蘇我馬子(ソガノウマコ)という人物がいます。聖徳太子の伯父にあたり、古代日本を支配した大貴族で、自分と同じ一族出身の天皇を殺した人と言われ、すごい逆臣であったとも言われています。

聖徳太子といえば、「一に曰く和を以って貴しと成す」という日本の基本的な哲学の基となる十七条の憲法を自ら定め、実際に政治を行った人物です。どうも馬子は、聖徳太子と随分衝突したのではないかと思われ、馬子と推古天皇と聖徳太子の三つ巴で政治を行ったようなのです。

この中で実にわかり易いのが蘇我馬子で、自分の一族の保身を第一に考えて行動していたようです。推古天皇はその馬子にうまく乗っかっているような印象を受けます。この中で聖徳太子は日本の哲学を独自に推し進めようとしているのです。この三人の温度差は、その後に如実に現れていきます。

まず聖徳太子の一族は、蘇我馬子の孫の蘇我入鹿(ソガノイルカ)に滅亡させられています。聖徳太子自身も、その末路は実に不自然です。今古代に遡ることは出来ませんが、どうも馬子に殺されているような雰囲気があるのです。そのうえ蘇我一族は、後の天智天皇に族滅させられています。入鹿が聖徳太子の一族を族滅させた時、入鹿の父がこれで我が一族も滅びるであろうと予想しているのです。その予想通り蘇我一族も族滅させられています。

蘇我馬子は自分の一族をいかに繁栄させるかを考え、あらゆる対策をしていたことが目立ちますが、結果的に一族は滅びてしまいます。蘇我氏は天皇家と見まがう程の権力を奮っており、大化の改新は、ほとんど蘇我入鹿の政策を踏襲しているのではないかと言われています。

その政策は尋常ではなかったように伝わっています。一族を残そうとした蘇我氏が滅び、日本の哲学を推進した「和を以って貴しと成す」が残ったのです。

今、世界は軍事力優先で、軍事力で物事が解決できると考えられています。ロシア連邦が、2022年2月24日にウクライナへの軍事侵攻を開始しました。ロシアのプーチン大統領が、6、7世紀の聖徳太子の考えにも及ばないというのは、人というのはいつまでも進歩しないものだなぁと思います。科学技術は発展していますが、考え方というのは変わらないのです。

また、聖徳太子が古代の1,400年前よりこの哲学を日本に広めたことは、大変素晴らしいことです。蘇我馬子の自分の一族第一主義という考え方は、難しいものと思われます。それを歴史が証明しています。軍事力で解決しても何も残らないのかもしれません。

実利を求めた馬子より、空利を追求した聖徳太子の方が後世に影響を及ぼしているのは、皮肉としか言いようがないのではないでしょうか。子孫には財産よりも筋力を残す努力こそ求められるのもかもしれません。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる

久しぶりに「聖徳太子」黒岩重吾著の小説4巻を読了しました。聖徳太子は日本人では特有の清らかでけがれ無き名前を持つ聖人です。様々な事業を成しているにも関わらず、実在の人物かどうかも疑われている事柄があるそうです。聖徳太子は、日本人に与えた影響は計り知れないものがあります。17条の憲法の根幹を成す『和を以て貴しとなす』は今をもって日本ばかりでは無く世界にも通じる哲学です。そして、今のロシアのプーチン大統領にも聞いてほしくらいです。日本の7世紀の哲学にいまだ持って及ばない人物は、世界の指導者になる資格は無いと思います。

聖徳太子はその上、日本と中国(当時の隋)との交流をし、日本を世界に紹介すると共に、日本社会の意識改革に努めました。この意識改革は至難の業でまさに教育の根本となり、経営の根幹に繋がるものでしょう。また遣隋使に目を奪われますが、私はこの日本人の意識改革こそが大偉業だと思います。聖徳太子は『豊聡耳皇子』と言われ同時に複数人の訴えを聞き分けて理解できるほど聡明な人物と伝えられています。伝説上の事で今となっては確かめようがありませんが、それを信じているのが楽しいかもしれません。

聖徳太子は蘇我氏の出身で蘇我馬子と叔父と甥の関係で、政治上は常にライバル関係にあり、最後には聖徳太子一族は蘇我氏の蝦夷入鹿の親子一族に族滅させられたようです。それは古代史の謎の一つです。しかし、古代史の聖徳太子一族の族滅により蘇我氏自身が天智系の氏族に大化の改新で族滅され以降、受け継がれていくのです。これを考えると、ライバルという存在は必要だなと常に思います。ライバルがいる事により自分も生かされているという事が歴史的に数多くみられ、自分が生き残れた場合も、後に必ず体制が弱り生き残れない場合が多いようです。

聖徳太子は49歳で生涯を終えていますが、これも歴史の謎で今となっては確かめようがありません。

このような日本最大の偉人でさえ、歴史上に存在しなかったのではないか、17条の憲法は後の代の制定で、文言の使い方が聖徳太子の時代と違うと指摘されています。それは、聖徳太子を聖人化して売り出した人がいるのではないかと言われています。それが藤原不比等で、作り上げてきたのが藤原家の興隆を計るためのストーリーであったという歴史の逸話もあるのです。

今、古代史は様々の繋がりを持ち続けていますが、何が真実で何が虚偽か?一つ一つ確かめていくことが楽しみです。その時代、時代の心理を探ることが大切です。その時代の思いが大きくその後の政治、民衆の行動に反映されているからなのです。そう思うと歴史は実に面白く、新しい発見が常にあるかもしれません。常に私達に話題と智恵を投げかけてくれます。読書をしましょう。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

私は子供の頃から読書が好きで、小学、中学、高校、大学はもちろんのこと、社会人になってから益々高じています。現在は正岡子規全集、オノレ・ド・バルザック全集、黒岩重五の聖徳太子、スティーブ・ジョブズの名言集等に取り付いています。よって暇をつぶすという言葉がありますが、パチンコ等は時間が勿体なく、やっている暇がありません。

読書に、はまってつくづく感じるのは、本の深みです。例えば、小学生時代に読んだ本を今読み返してみると、実にその味わいが違うのです。例えば、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康の日本三大英雄に対するイメージです。子供の頃、特に小学生時代は豊臣秀吉に夢中になり、憧れを抱き、自分も出世したいなと思ったものです。しかし、中学から高校、大学にかけては織田信長が好きになり、日本の改革に憧れました。最近は、その当時最も嫌いだった徳川家康のことを少しずつ理解できそうです。まだ全面的に好きという訳ではないのですが、その時の家康の判断が理解できるようになってきたように思います。少し世の中の事が理解できるようになってきているのでしょうか?

私は読書には非常に利点があると思います。その理由として、第一に非常に我慢強くなり、気も随分と長くなるような気がします。その上、これは私の主観ですが、血管が広くなって血圧が低下するような気がするのです。70歳代になると、血圧が高めになり、何らかの血圧降下剤を飲んでいるようですが、私は実に正常です。その上読書によって、気が長く粘り強くなったような気がします。若い頃はかっとなりやすく、物事を諦めやすかったのですが、物を作り上げる、完成させるという粘り強さが養われたように思われます。また、読書によって知識が吸収され、色々な方の経験、考え方が理解できるようになります。正岡子規全集を読んでいると、34歳の短い生涯の間に彼は諦める事なく、実に様々な事を成し遂げています。漢詩、短歌、俳句等様々なジャンルで作品を残しています。その上、夏目漱石をはじめ河東碧梧桐等の錚々たる方々と交流して楽しんでいる様子が伺え、実に楽しそうです。まるで自分がその中にいるように楽しめるのです。

今日、私があるのは、全て読書のおかげです。この楽しい読書を楽しまない人がいたら不思議です。私の部屋は色々な書物に囲まれて実に楽しいのです。恩師の故高橋先生がいみじくもおっしゃっていました。良書というのはエキスが詰まっていて枕元に積んでおくだけでその影響を受けるんですよ。極端な話読まなくても積んでおくだけでいいんですよ、とおっしゃっていた言葉が印象的です。私は人生の師という方々に恵まれたのですが、特に人間は人生の師を持って、自分の人生を築き上げる事が必要だと思います。その為には幅広い読書をして、広く世の中を眺め、偏らない判断をする必要があると思います。

人生において、自分で考え、自分で判断する事が必要だと思います。その時にこそ豊富な読書によって他人の経験を自分の経験のように活かし、適格に判断をくだすことが、いかに生きるうえで役に立つかはかりしれません。世の中、良書が溢れています。そのうちの少しでも自分の人生でふれあえたら幸せです。私の生きている間に正岡子規25巻、バルザック15巻、ジョブズ名言集その他etc…。人生を楽しみたいと思います。

悟りとは、平気で死ぬる事ではない。如何なる場合にも平気で生きている事である。

子規

人生万歳! 読書万歳!

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

コロナ禍も少しずつ収束の気配が見えてきているように思います。ここで気になるのは、コロナウィルスによる死亡者数と、その内容です。死亡者数は随分と減少しているように思われ、70代~90代の方達が亡くなっているようです。そして、死亡原因は本人の持病等と重なり合っているのではと思われるのです。

しかし、どうもその死亡原因をコロナウィルスに特定しているように感じられます。そのことにより、感染者数に対して死亡者数が多くなっているのではないでしょうか?もう決して多くはないような気がするのですが、報道は常に特別になっています。毎回の新規感染者を発表して、それが減ったとか増えたとかパーセントで比較して何か意味があるのでしょうか。私にはその効果が何なのか全然解りません。マイナス面で捉えると、国民に必要以上の不安を煽っているだけではないかと思われます。私はもう毎日の発表はやめるべきだと思います。

その上、ワクチンを打っている人がコロナにかかっているとか、また、重症化していないとかまことしやかに言われているのですが、本当のことなのか、どうもまやかしの情報みたいに聞こえるのです。これだけ多くの人が感染して、2回かかった、3回かかったとか言う人が増えているのに、発表する必要があるのか、私はもう必要がないと思います。

そして、つい先日イギリスのエリザベス女王の国葬が行われました。誰一人マスクをしている人をテレビ画面で見られませんでした。イギリスはコロナがもはや流行していないのでしょうか、収束したのでしょうか。

これも噂話ですが、マスクをしているのは、日本人と韓国人と中国人だけだと言われています。私自身も実感として、コロナの感染予防にマスクは何の関係も無いと思っているのですが、今でも無知の人々に強制されなければいけないのか?もっと医療の専門家に発言していただきたいと思うのです。

また、最近日本でとても気になる事があります。それは日本人の寿命に関する考え方です。日本人の平均寿命は、女性も男性も延び続けています。どうも日本人は永久に生き続けると思っているのか、サプリメントを飲み続ければ、永久に歩き続けるかのごときです。私は、日本人は寿命という考え方を持たなければいけないと思います。ある資料では、日本人の死亡原因でコロナは第8位です。ガン、心疾患、老衰、脳血管、肺炎等の順のようです。

私からみますと、70代~90代、これはほとんど寿命といってもいい年齢に思えます。これは私の思い込みかもしれません。人はいつまで生きられるのか、元気に健康でいられるのか、そして病気になったら延命治療をいつまで続けるのでしょうか。

私も76歳になりました。私のまわりの殆どの人が病気になっています。それもガンになっているのです。でもこのガンの治療は必要なのでしょうか?冷静にみていますと、ガン治療したのと放置したのと、どちらが長生きするのかというと、どうも放置の方が人生を楽しんで生きているように思われるのは、私だけでしょうか。

私は70代を超えると検査はほとんど必要ないと思います。特に高齢者の治療は気を付けないといけないと。特に手術は病気よりダメージが大きいと思われます。私達は寿命と真摯に受け止め、人生設計をする必要があると思われます。もうコロナなんて怖くない、既に、ほとんど治療らしき治療もしないでインフルエンザ並みになってきているとも聞きますから。

これからはあまり大げさにしないで、人生を大いに楽しむという考え方も必要かもしれませんよ!!

自分自身の人生哲学こそが私達の人生を充実させてくれるのかもしれません。

不動産遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

この度の梯川の水害は実に不思議な水害でした。まず、わずか2日の雨降りで各地に床上・床下浸水が1500棟近く、道路・田畑の冠水とひどい被害状況でした。被害地域の皆様の特に床上に浸水した地域の皆様は大変でした。

私は現在76歳で戦後の梅田町をほとんど経験していると言っても過言ではありません。これ迄、今回を含めて6回の浸水を経験しています。床上1回と床下5回です。床上の浸水は床上30㎝とひどい被害で、畳が全く駄目になり、便所の汚水や便が流れました。何故ならその当時は汲み取り式便所だったからです。実に、不衛生極まりありませんでした。

その際、家の前の小川等から金魚が釣れるようになりました。何故かというと、梅田町の各家庭に池が造られていて、その冠水により金魚が逃げ出し釣れるようになったと言う次第です。この床上浸水は私の高校2年生の時で今から60年前の事です。その他5回の冠水は小学校・中学校時代の事です。だいぶ昔の事で、最近は冠水していない日常に安心していました。これも梯川が一級河川に格上げ?格下げ?され大規模な堤防の補強工事が始まり、川幅を広げ、川の蛇行をまっすぐにし、川底を深くする大工事が成されたからです。これも、地元のある代議士のおかげと感謝していたのですが、一級河川という事で「100年に一度の大雨に備えて」の国土交通省のうたい文句でした。

では、今回の雨量は100年に一度推定していた雨量なのでしょうか?私は今回の雨量は100年に一度の推定を上回っているとは思いません。雨量の計算ミスではないかと思われます。また、一級河川の大工事の後、梯川の平常時の水量が昔と比べて実に多くなったように感じます。だから、少しの雨で水かさが増すのです。その上蛇行をなくした為に、川の流れが速くなり一気に日本海に流れ込む為、日本海が満潮だと梯川の水が処理できなくなるのです。その上梯川の本流の流れが速くなると、流れ込んでいる支流の水が止まるという事で各支流にポンプアップをするという対応をしている訳です。今迄はこのポンプアップの威力は絶大で大量の雨が降っても大丈夫でした。しかし今回は降雨量が多かったとかで、梯川の本流の水が多くて保てないという事で、各支流のポンプアップを全部ストップしたと言うのです。この、ポンプアップのストップという行政判断は大変な間違いです。それは、根本的な一級河川の設計思想が全く間違っていたという事なのです。

何が間違っていたかと言うと、支流のポンプアップを国土交通省の指示でストップするという事は、支流の水が必ず溢れるに決まっているからです。根本的発想が間違っているのです。この事は非常に重大な事です。だから、今迄に冠水した事のない地域が冠水しているのです。まず、ポンプアップをストップするような行政判断は大変な間違いなのです。今回は水の流れが今迄に無く、不自然で下から上へ水が逆流していました。それでも行政は認めないと思います。という事は、これからは100年に一度ある降雨に対してではなく、少しの雨が降る毎に我々住民はビクビクして暮らさねばなくなって来たからです。

この責任は国土交通省がとるのでしょうか?小松市がとるのでしょうか?それともほっかむりしてしまうでしょうか?このことは、国土交通省の河川に対する基本的な点のミスとしか認められません。これから、ポンプアップを常に止めるのでしょうか?そんな事をすれば必ず地域が水浸しになります。これは天災ではなく、人災なのです。この人災を人災と捉え修正していく柔軟性が行政に求められます。責任の転嫁ではなく、いかに実施するかがこれからの課題です。

不動産 遊民

都市研究家 調(しらべ) 亮(わたる)

Name:
高橋 達也
Position:
店長・売買営業
Career:
宅地建物取引士
2級ファイナンシャル・プランニング技能士
Message:
不動産は無理して買うものではありません。また不動産を買うことがゴールではありません。むしろスタートです。
一緒にスタートを切るお手伝いを精一杯させて頂きます。

Name:
金川 明充
Position:
主任・売買営業・賃貸営業
Career:
宅地建物取引士
Message:
不動産購入・売却へのストーリーはお客様の数だけ違います。一人一人のペースやタイミングに合わせた接客や情報提供を常に心がけています。
何なりとお気軽にご相談ください。

Name:
大山 藍子
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様と同じ目線に立ち、ご希望にあった物件に出会えるよう精一杯サポートさせていただきます。
誠心誠意対応し、信頼して任せていただけるよう努力いたしますので、お気軽にお問い合わせください!

Name:
小川 香奈恵
Position:
賃貸営業・賃貸物件管理
Career:
少額短期保険募集人
Message:
お客様が安心して新生活のスタートができるように全力でお部屋探しのお手伝いをさせていただきます!
お気軽にご来店ください。笑顔でお待ちしております♪